たまには、こっち側から
「ねえねえ、くみこは今彼女いるの?」
その言葉に私は一瞬固まる。大学生の新歓。20人近くの男女ががやがやと喋っているなかでお酒も入って1時間位。目の前の、今日あったばかりの同級生から発せられた、その質問自体はごくごく常識的なものだった。いつもならてきとうに「今はいないよー」なんて言ってごまかすところだ。実際それは嘘ではないから。
でも、もう私はそれをやめることにした。そう決めたのはこの大学に入ることが決まった時。理由は、もう面倒だったから。
「あー……実は私、男の人が好きな人で……」
「えー!!!」
目の前の女性から発せられた甲高い声の大きさは、周りの人達の注目を集めるのに十分だった。
「なにー?」「どうしたのー?」
すこし驚いたような顔をして聞いてきた人々に、彼女は親切にも私の代わりに説明をしてくれた。
「くみこ! ヘテロなんだって!!」
ヘテロ。私はその三文字があまり好きでなかった。何も悪いことをしたわけではないのに、この言葉によって私は「そっち側」に行けないことを思い知らされるからだ。
「えーまじで! 初めて見た!」
隣に座る男性が言う。確か、三年生。
たぶん誰もあなたに打ち明けなかっただけですよ? 心の中で言葉を返しながら私は曖昧に笑う。
「ね、ね、今って……彼氏はいるの?」
彼女はまた聞いてきた。なぜか「彼氏」の部分を強調される。
「今はいないよ」
「じゃあ前はいたんだ!!」
嬉しそうに彼女は言う。
「うん……まあ……」
「ね、男の人と付き合うってどんな感じ?」
「えー……いや、普通だよ……同性と付き合うのとそんな変わらないし……」
「でもやっぱヘテロだと偏見とかあるんだろうなー! 大変だろうなー! なんか言われたことある?」
今度は隣の男性から。
「……まあ」
「どんなの?」
せめてもの抵抗として少し不快そうな顔をしてみたのだがこの人には通じなかった。
「うーん……なんだか……変とか……」
「あーなるほどなー」
それは肯定? あなたもそう思うの?
「そういやなんかそんなんで炎上してた議員いたよなー」
「あーいたよね。なんだったっけ?」
「いや中身はよく知らねーけど」
そうですよね。あなた達には他人事ですものね。
「ねえ、ところでさ、これはちょっとあれなんだけど」
目の前の彼女が少し身を乗り出して手招きしてくる。それに従って、私は彼女に顔を近づけた。
「男とってさ、どうやってヤるの?」
女は下卑た笑みを浮かべながら、小さな声で聞いてきた。
意味を理解するまでに一瞬。
その後湧いてきたのは「信じられない」という怒りの感情だった。
しかし周りの男どもは「おまえやめろよー」なんて言いながら笑っている。その目は言葉と裏腹に好奇心がむき出しだった。
「いや……うーん」
どうしよう。
言いたくない。
けど、今雰囲気を壊すのも、後々のことを考えるとあんまりしたくない。
目の前の女はなおも私の答えを嬉々として待っている。
「えーっと……」
「ねえ中川さん」
不意に声が聞こえた。中川は私の名前。声は2つ向こうに座っている女性から。名前は何だったかな。
「トイレってどこにある?さっき行ってたよね」
「あ、それなら店を出て左に行ってから右……」
「あーごめん。私方向音痴だからついてきてくれない?」
「え……」
言うやいなや彼女は立ち上がり、私の手を掴んで引っ張った。そのまま店の外に連れ出される。
「どっちだっけ?」
「あ……左」
「オッケー」
そう言って彼女は歩き出した。慌てて私も後ろをついていく。
少しの間無言の時間が流れた。彼女はなおもスタスタと歩いていく。
「あの……」
「ん?」
声を掛けると彼女は振り向いた。きれいな長髪が一緒になびく。
「ありがとう」
「なにが?」
「私が嫌がってるから連れ出してくれたんでしょ?」
「あー……」
彼女は少し照れたようにしながら言った。
「余計じゃなかった?」
「ううん、嬉しかった」
「いやなんかあたしああ言う話あんま得意じゃなくて」
彼女は何かを隠すように少し早口で言う。
「ねえ、あの……間違ってたら失礼なんだけど…もしかしてあなたもヘテロ?」
「いや、私は普通にレズ」
「あ、そうなんだ……」
「お、あった」
気がつくとトイレにたどり着いていた。
「案内ありがとう!」
そう言って彼女はトイレに入った。私は手を振って見送り、入り口の壁にもたれかかって待つ。
少し期待した。ヘテロは人の17%だと聞いたことがある。今日は20人くらい集まっているからたぶん……3人くらいはヘテロがいるはずだ。
彼女がヘテロであれば……というよりあの場に同じヘテロがいれば少しは安心できたかもしれない。本当にいないのか、カミングアウトしてないだけなのかはわからないけれど。
ため息をつく。やっぱり言うの、やめとけばよかったかな。でも、また好きな人はとか、好きな同性のタイプはなんて聞かれて、ごまかすのもうんざりだった。
みんな私に興味がなければいいのにと思う。たまたま少ない方なだけで、まるで動物園のパンダみたいだ。
「……え?待っててくれたの」
ふいに声がした。左を見ると彼女がハンカチで手を拭きながらこちらをキョトンとした目で見ている。
「え、うん……」
「ありがとうー!優しいね」
「……帰り一人だと迷うんじゃないかと思って」
そう言って私は少し笑ってみせた。彼女もつられて笑ってくれた。
「戻ろ」
二人はまた並んで歩き出した。
「あのさ……」
彼女が言う。
「どうしたの?」
「さっきさ、あたしたぶん「普通にレズ」って言ったかなと思ってさ」
「……うん?」
言っただろうか。そんな気もするがあまりきちんと覚えていない。
「なんかトイレしながらさ、「普通」って良くなかったかなと思って……」
そう言って彼女はこちらを向き、手を合わせて「ごめんね」といった。
可愛らしい人だなと思った。私の恋愛対象にはきっとならないけど。
「そんなこと全然気にしてないよ」
私が言うと彼女の顔がぱっと明るくなった。
「よかったー。あ、ねえ、くみこさん同い年だよね? くみこって呼んでいい?」
「え……うん、いいよ」
「じゃあよろしくね!私も名前で呼んでいいから!」
「あー……」
私が言葉に詰まると彼女はニヤリと笑った。
「さては自己紹介のときちゃんと聞いてなかったなー? れいなだよ。吉川れいな」
「れいなね……よし、覚えた!」
私はれいなに親指を立てて見せる。それを見てまたれいなは笑う。
「あの、でも私、ヘテロだよ?」
「だから?」
だから?
「だから…あの…」
「私がくみこのこと好きになるって? 自意識過剰だなー」
「そういう意味じゃないけど!」
私がムキになって否定するとれいなは声を出して笑った。
「いいじゃん。女とか男とかじゃなくて人間でしょ?」
そう言って、れいなはたどり着いた店の入口を開ける。私達の新歓グループは奥の座敷だ。
「ごめんねーくみこ借りて……て……」
言いながらふすまを開けたれいなが、固まっている。
見るとついさっきまで私に根掘り葉掘り聞いていた人々はすでにみな同性同士で「イイ雰囲気」になっていた。
れいなは向こうからは見えないように「お手上げ」のポーズを取って見せた。私はそれを見て笑いながら言った。
「端っこのほうで、一緒に喋ろ」
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