選べるなら?
ここに一つのレバーがあります。
左に傾いたこの状態にしておくと、あなたの来世は性愛者。
つまり他者に性欲が向き、スキンシップやセックスを人並みに楽しめる人になります。
右に動かすと、あなたの来世はアセクシャル。(広義、ノンセクシャル含む)
つまり他者に性欲が向かず、スキンシップやセックスに対して興味がない、もしくは苦痛を感じるような人になります。
さて・・・
あなたはこのレバーを右に動かしますか?
・・・はい。皆様こんばんは。
今週もわけのわからない導入から始まりました当ブログ、今回のテーマはアセクシャルとプライドです。
アセクシャル、ノンセクシャルの人たちは自分自身の性質についてどう思っているのか?というお話ですね。
ちなみに今回の記事ではアセクシャルをアロマンティックアセクシャル、ロマンティックアセクシャル(=ノンセクシャル)両方の意味で使います。つまり恋愛感情の有無はとりあえず置いといて、性的な行為に興味がないもしくは嫌悪がある人を意味します。
まずはじめに、アセクシャルは病気ではありません。
とても大事なことなのでもう一度言います。
アセクシャルは病気ではありません。
治さなければならないものではありませんし、劣等であることの証でもありません。
その前提の上で、私の場合は、
上のレバーを絶対に動かしません。
選べるのであれば確実に性愛者を選びます。
なぜか?
私は多数でありたいのです。
これはセクシャルマイノリティでなくともみんな一度は、いや何度も経験があるはずです。
少数派は生きづらいのです。
左利き、外国人、珍しい名字、マイナー漫画愛好家まで・・・。
人はどこかのグループで必ず少数派になっていると思います。
そして世の中は多数派が生きやすいようにできているのです。
当たり前です。多数が幸福なほうが良いですから。
そうであるから、そうであるために、少数派は面倒な暮らしをしなければなりません。
アセクシャルはとても面倒です。
他の人と話は合わない。風俗店に絶対に行けないからノリが悪いと言われる。気になる人がいても「性愛者じゃないかな?そういうことができなくても大丈夫かな?」なんて心配をしなければならない。恋人ができても性愛者なら相手に我慢をしてもらうしかない。子供が欲しくても作るための行為ができないか、できても辛い。
ああ、面倒です。実に面倒。
でも、
でもですね?
私はアセクシャルであることをほんの少し、ほんのちょっとだけ、気に入っています。
それはプライドとかアイデンティティと言われるものに近いかもしれません。
アセクシャルという要素が私を形作り、他者と差別化し、自分自身を定義するものとして、妙な愛着を感じているのです。
例えるなら小さい頃からずっと使っている物とか、そういうものに感じる感情に近いかもしれません。
面倒、だけどなんとなく、そんな自分を気に入っているところがあります。
セックスなんて変な行為(アセクシャルじゃない人ごめんなさい!)にちゃんと気持ち悪さを感じている自分が好きです。
他人に性的な視線なんて失礼なものを向けなくて済むアセクシャルで良かったと思います。
女性を体で判断するような脳みそ下半身についてる馬鹿共と同じ思考にならなかったことを誇りに感じます。
最初に言ったとおり、私は次選べるなら絶対に性愛者を選びます。
でも今、現世、アセクシャルなことを、私はそこそこ気に入っているのです。
他の人がどう思ってるかはわかりませんが、私みたいな人、結構多いんじゃないかと思っています。
別に必ずそうあるべきだとは思いませんが、そういう感情をもてると、人生ちょっとだけ楽しくなるのでおすすめです!
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