せっくすが気持ち悪くてできない男の話

ノンセクシャルの成人男性が言いたいことをぶちまけるブログです。

カミングアウトってさ・・・

大事な話があると言って呼び出した家族の前で、俺は一度深呼吸して、言った。

 

「実は俺、ゲイなんだ・・・」

 

あれから三年。母や妹と違い、昔気質の父はなかなか認めてくれなかったが、俺が結婚を決めた彼氏を紹介すると一言「好きにしろ」と言ってくれた。この三年、ゲイであることを伝えることで辛い思いをすることもあったけど、結果的には本当の俺を認めてくれる人が今はたくさんいて、充実した生活を送っている・・・

 

・・・はい。

 

皆様こんばんは。

 

本日のお話はカミングアウトについて。

そう、セクシャルマイノリティ皆のお悩み

 

「周りに言うか!?言わないか!?」

 

問題です。

 

この問題はそもそもレズビアン、ゲイ、トランスジェンダーの人のほうが深刻かもしれません。というのもアセクシャルノンセクシャルでないノーマルの人でも恋愛やセックスに強い欲求がないという人は多いので、LGTの人よりは理解されやすいのではないかと思うのですね。

 

とはいってもやっぱりアセクシャルノンセクシャルにもカミングアウトするかしないかという問題はつきまといます。特に恋バナを振られたときとか、親に結婚を勧められたときとか、あるいは下ネタを振られたときとか、

「私ノンセクシャル/アセクシャルだからそういうのはちょっと・・・」

と思い切って言ってしまうか、ノンセクシャル/アセクシャルということは伝えずにてきとーな愛想笑いでやり過ごすかは人によりけりです。

 

ではカミングアウト、すべきでしょうか!?

 

の、前に

 

そもそもカミングアウトがそんなとてつもなく大変なイベントなのおかしくない?

というお話をしたいと思います。

 

私の中で「カミングアウト」って冒頭に書いた話くらい重いイメージなんですよね。

とんでもない話を意を決してする!みたいな。それをするまでにもそれで嫌われないかとか、受け入れてもらえるかとかいろーんなこと考えて、悩んで、さあ、いざ!みたいな。

 

私はそもそもそれがおかしいと思います。

 

以前アセクシャルの方とお話した時、「恋愛感情、あるいは性欲の強さや向く方向というのは食べ物の好みのようなもの」と仰っていました。これ、とってもいい表現だと思いました。

食べ物の好みと同じ、というなら冒頭のお話はこうなるわけです。

 

大事な話があると言って呼び出した家族の前で、俺は一度深呼吸して、言った。

 

「実は俺、納豆苦手なんだ・・・」

 

・・・で?

 

って感じですよね。

 

納豆好きな人も入れば納豆嫌いな人もいるように、

男性だけど男性が好きな人もいれば、

好きな人はいるけどセックスはしたくない人もいると。

自分が人と少し違うことを伝えるのに、カミングアウトなんて大層な話にするのはおかしいと思います。

もし話をするのであれば、

「◯◯君好みの女性ってどんな人?」

「ああ、俺ゲイなんだよね」

「あ、そうなんだー」

みたいなかるーいノリで話ができるようになるべきだと思うわけです。

 

ちなみに私が今まで「私ノンセクシャルなんだよね」と話したことがある人は二人です。どちらも居酒屋で恋愛の話を聞かれてから流れでくらいのかるーい感じで言いました。言われた相手はまず「ノンセクシャルって何?」から。そこで説明すると驚いた様子もありましたが「まあそういう人もいるよねー」という反応でした。どちらの人も概ね私の理想に近い形で話を聞いてくれました。

 

一方基本的には私は自分がノンセクシャルだという話はしません。それは隠してるわけでもなく負い目があるわけでもなく、単純にめんどくさいから。まず恐らくノンセクシャルが何かから説明しないといけません。そこで「えー!セックス無理とか絶対うそやん!」とか言われたら超めんどくさい。「なんでなん?」とか言われたらもうこのブログのURL投げつけて「これ読んでろ」って言ってやりたい。

明らかに労力に見合ってません。そもそもカミングアウトして受け入れてほしいとも思わないし、受け入れられようが受け入れられまいが私の性質は変わりませんし。

なので話の流れとして言ったほうがいいかなと思ったときにしか話しません。まさに

「何か食べられないものとかない?」

「あー納豆とかちょっと苦手」

くらいの話ですね。

 

最近の世間の風潮として「セクシャルマイノリティの多様性も認めよう!」というところがあり、それに伴ってなんとなく「私はカミングアウトされても受け入れるよ!」というような人が増えている気がします。それはそれで良いんですけど、セクシャルマイノリティが自分の性質の話をするのにカミングアウトなんてカタカナ7文字のおもっくるしい言葉を当てはめるのではなく、世間話のひとつ、食べ物の好き嫌いくらいの話としてできるようになったら良いなと思います。

 

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お勉強

皆様こんばんは。

 

本日はちょっとしたお勉強。

セクシャルマイノリティの用語についてお話しようと思います。

 

と言っても私はノンセクシャル当事者なだけで、大学でセクシャリティについて研究したとか、文献だの論文だの読み漁ったとかではないので、確実に正しい知識をお伝えできるわけではありません。そもそもノンセクシャルとかアセクシャルの話って研究少なすぎてまだ定義とかも曖昧だったりするそうですね。

 

ですので解説というよりは私はこういうふうに理解しているよ!という話をしていきます。間違ってたら・・・うん!ごめんなさい!

 

ではさっそく定義について・・・の前に、

 

なぜ、用語を理解しておくべきなのか

 

について。

三角関数なんて何の役に立つんだよ!」状態にならないように、まずこれを学ぶとこんな良いことがあるよ!というお話からしたいと思います。

 

良いこと、それは自分の性質を正確に伝えられたり、相手のことを正確に理解したりできることです。

例えばあなたがセクシャルマイノリティ当事者だったとします。でも自分のセクシャリティを話す時に「えーっと、なんかよくわからないけど、なんとなく恋愛感情はあるけど異性に触れたりするのは苦手で・・・」というよりは「たぶんですけどノンセクシャルっぽいです!」といったほうがスムーズに話が進みます。もちろんノンセクシャルの中でもいろいろ違いはあるので、そのへんはその後でお話しながら理解してもらうと良いです。

そして相手に「ノンセクシャルです~」って言われた時、自分と同じセクシャリティなのか違うセクシャリティなのか、あるいはその人とお話する時はどんな話をすべきか、どんな話題を避けるべきなのかについてヒントが得られます。

こういうのは特にオフ会とか多人数で顔を合わせてお話する時に役に立ちますね。知らない事自体は悪いことではないけれど、知っとくに越したことはない。

ちなみにセクシャリティに関する用語は本当に多種多様なので界隈では「バイロマンティックアセクシャルのシスジェンダー女性ヘテロセクシャルシスジェンダー男性とお付き合いしています!」みたいな会話がなされます。正直私も全然わからん!みたいなことが結構あります。

 

では実際にセクシャリティの用語をお勉強していきましょう!

と、言いたい所ですが、あまりにも多いので今回はトピックを3つに絞ります。

 

性自認と性指向について

よく間違えやすいのがこの二つです。かくいう私も最近までよく違いがわかってませんでした。

 

性自認とは

自分がどんな性なのか」をどう認識しているのか、ということです。例えば私は男性の体をしており、心も男性だと自認しています。が、いわゆる性同一性障害の方だと心と身体の性が一致していなかったりします。

「つまり自分が男と思ってるか女と思ってるかってこと?」というと、まあ・・・半分正解です。
残りの半分はXジェンダーを自認する方がいらっしゃるというところです。男でもない、女でもないとか、男であり女であるとか、必ずしも両端のどちらかに当てはまらない方もいらっしゃいますので。

 

性指向とは

性指向は「誰に対して恋愛感情を持つか(あるいは持たないか)」ということを意味します。性的指向とも言いますが性的嗜好とはちょっと違います。異性を好きになるなら異性愛者、同性を好きになるなら同性愛者、他にはバイセクシャルとかパンセクシャルとかはよく使われますね。ちなみにベルリンの壁と結婚した人もいるそうです(対物性愛というらしいです)

 

ですので自己紹介の時「私の性自認ノンセクシャルです!」というと、ん?ってなります。ノンセクシャルは「他者に恋愛感情は抱くけど性的欲求は抱かない」だから自分の性の話ではないですね。「学校どこ?」に「野球好きです!」って言ってる感じになります。

って偉そうに言ってますが私も「私の性自認ノンセクシャルです!」って言ったことあります。オフ会での話ですがその時もそれで怒られたり馬鹿にされたりは全く無かったのでご安心ください。

 

アセクシャルノンセクシャル

このブログでは最初の方に

アセクシャルは「恋愛感情なし性的欲求なし

ノンセクシャルは「恋愛感情あり性的欲求なし

みたいなふうに紹介しましたが実はこれ、まだ議論のある話になります。

そもそもノンセクシャル=「恋愛感情あり、性的欲求なし」と言われているのは日本だけみたいですね。海外ではノンセクシャルっていうと人に対して恋愛感情を抱かない人?みたいな意味になるらしいです。

海外では恋愛感情がないことをアロマンティック、性的欲求がないことをアセクシャルと言います。つまりですね、

好きな人おらんし性欲もない=アロマンティックアセクシャル

好きな人はおるけど性欲はない=ロマンティックアセクシャル

みたいな使い方をします。ただこれが全世界共通の正しい定義というわけではないのでこのブログではこれからもアロマンティックアセクシャルアセクシャル、ロマンティックアセクシャルノンセクシャルとしてお話していきます。

 

ノンセクシャルの中でも違いがある

このブログで散々「セックス気色悪い!」みたいな話をしているために「あ、ノンセクシャルってセックス無理なんだー」と思われてるかもしれませんが、それはそれで違うという話です。

セクシャリティって0か1じゃなくて、人によって全然違います。なのでどちらかというと性欲軸と恋愛感情軸のあるところでどこにいるか、というように考えたほうが良いかもしれません。

図にするとこんな感じ

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私の場合は恋愛感情はあるので横軸は+、でも性行為は無理だから縦軸は強めのーで下の方、ということで水色の点くらいかなということです。でも定義的には右下の領域は全てノンセクシャルになります。性欲がーでなく0である、つまり「特にしたいとは思わないけどやろうと思えばできる」人もノンセクシャルになります。「私ノンセクシャルなんだよね」と言われたとしても右下の領域のどの部分にいるのかは人によりけりですので確認したほうがいいですよーってことですね。

ただ特に男性は「私ノンセクシャルです」と女性に伝えられた時は性交渉についてはかなーり慎重に聞いたほうがいいです。間違っても「一回やってみようよ!」とか言わないでね。

それから左上の領域は私も名前がわかりませんでした。恋愛感情ないけど性欲はあるって何ていうんですかね。知ってる人いたら教えてください。

 

以上、ちょっとややこしい話なので疲れたかもしれませんが、これ間違えたからと言ってめちゃくちゃ怒られるとかそういうことはないので安心してください。結局、興味ある人がそれぞれ地道に勉強していくのが一番いいのかなと思います。(理解しようとしないのは良くないですけど・・・)

最近はセクシャリティについての本や漫画が増えてきましたので、そちらをあたるのも良いと思います。わたし自身もまだまだ未熟者。勉強して色々な人と理解し合えるように頑張ろうと思います。

 

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あとこれ間違ってるよ!とかあれば・・・

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文科省ガンバ!

皆さんこんばんは。

 

今回のお話は「容認」「理解」、そして「共感」について。

 

この「多様性を認めよう!」というキャッチコピーが文部科学省主導のもと駅やら学校やら至る所でやたらめったら見られるようになった世の中で、

 

じゃあセクシャルマイノリティにはどうすればいいの?

 

というお話をしようと思います。

 

なのですが、まずはじめに文部科学省思い切り喧嘩を売っときますと、

 

私は「認められたい」なんて一ミリも思ってません。

 

そもそも認めるってなんですか?

 

なんで私がそこにいる許可をお前らに得ないといけないんですか?

 

私は自分がマイノリティであることを全く悪いと思ってないし、マジョリティのお前らにどう思われようがどうでもいいし、認められようが認められまいが居座り続けてやるわ!

 

という気持ちですね。

 

だから、「多様性を認めよう」ってキャッチコピー見るたびいや何様?って思うんですよね。

 

私が本当に欲しいのはどちらかというと「理解」であり、それは「知識」です。

例えば一昔前にはLGBTすら普及してませんでした。もっと昔になると同性愛者は「罪」「刑罰の対象」でした。

(昔といっても例えば全米で認められたのは2003年らしいですが・・・)

ローレンス対テキサス州事件 - Wikipedia

んで、LGBTが普及したことで何が良くなったかというと、とりあえず「そういう人」がいる、というのをみんなが知ったことだと思うんです。まあ「そういう人」だと知った人がどんな反応をするかはまた人それぞれなので、これ自体はまだ色々問題はあると思うんですが、少なくとも知っているわけですね。

 

でも、2018年現在だとノンセクシャルとかアセクシャルという言葉、全然普及していません。

さてそうすると何がめんどくさいって説明

「私ノンセクシャルなんだ~」っていうと99.9%でなにそれ?が帰ってきます。

文部科学省にこの辺をなんとかしてほしい。必要なのはまず「知識」でその次が「理解」。

 

ついでに欲を言うと「共感」が欲しいです。

 

「私ノンセクシャルなんだよね」

 

「あ、私もそうなんだ!」

 

ってなったらめちゃくちゃ嬉しい。めっちゃくちゃ嬉しい!

NYのど真ん中で日本人にあったくらい嬉しい。

ただ私も他のセクシャルマイノリティに共感できるわけではありませんので、それはただ単に運と縁の問題ではありますが・・・。

 まあ、そろそろ倫理とか道徳の教科書にノンセクシャルとかアセクシャルって言葉が載ってもいいんじゃないかなって話でした。

 

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匿名のご質問は質問箱へ。

佐野の質問箱です | Peing -質問箱-

 

のんせくお~ら

皆様こんばんは。

 

前回、ちょっと真面目な感じで記事を書いたので今回はふざけ・・・ゆるめにいきたいと思います。

 

さて、私、色んな人からある言葉を頂きます。それが、

 

「佐野って、女に興味なさそう」

 

ほほう、

 

う~ん、

 

そうですね、

 

誤解です。

 

ふっつうに彼女欲しいなぁと思うし、ふっつうに女性好きです。ちなみに宮沢りえさんとか柴咲コウさんとか芯がある強そうな女性が特に好きです。最近だと貫地谷しほりさんとか好き。とっても綺麗な方ですよね。

 

ていうか私お家に200冊近く百合漫画があるくらい女性好きです。

なんだったら男なんて全員いなくなって百合帝国ができればいいのにと思ってるくらい女性好きです。

そうです、多分そのへんの男よりよっぽど女性好きだと思います。

 

にも!

 

かかわらず!

 

なぜ!

 

女に興味ないと思われているのか!

 

そう、これはもうひとえにノンセクオーラが出ているのではないかと思っています。

 

私は確かに女性は好きだが、散々言ってきたとおり、それはセックスしたい好きではない。すなわち、私から出ているのは「女好きオーラ」ではなく、「ノンセクオーラ」なのではないか!

 

いやほんっとにもうあらゆる人に言われました。男性からも女性からも、付き合い長い人からも初めて会って一ヶ月の人まで、もう会った人全員にそう思われてるんじゃないかと思います。

 

んで、何が困るかって言うとそれ恋愛においてすごく不利じゃない?っていう話ですよね。私は一応結婚願望もあるし(という話はまた今度詳しく書きますが)どっかのタイミングで女性とお付き合いしてみたいなぁとは思うのですが「女に興味ない」っていうのは「わたしに興味ないよね」って思われるってことですよね。理不尽!

 

なのでどうやったらノンセクオーラって消せるのかなって思ってるのですが、そもそも私特にそれ出してる気ないんですよね。

 

ていうか「女好きそうな奴」と「女に興味なさそうな奴」の差って何?

 

未だにこの問題解決してないしよくわかりません。

 

よろしければ誰か教えてください。善処します。

 

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おすすめの百合漫画も答えます!

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初めから「こう」だったわけじゃない ~後編~

皆様こんばんは。

 

前回の続きですね。

 

前回はアセクシャル期で「どうやら自分は女性に触れられるのも苦手なようだ」と自覚を持ったところでした。

しかしこれは流石にやばいなと思った私。そこからしばらくは人に触れられるの慣れようと思ってスキンシップの多い人も極力避けないように、なんてこともしてみました。

 

でも無理。だって気持ち悪いもん。

 

みんなが持ってる「好きな人」もいねえし皆の好きな「スキンシップ」も苦手だしもう意味わかんねえな・・・と思いながら暮らしていたそんなある日のことでした。

Twitterにとある漫画が流れてきました。

 

 

ものすごく驚きました。

 

これ、私やん・・・

 

実際は当時アセクシャルで男性の私と、ノンセクシャルで女性の方なので厳密には全く一緒ではないのですが、自分と同じようなことで悩んでいる人がこの世にいる!ということにとてつもない安心感を覚えたことをよく覚えています。ちなみにこれが大学4年生の終わり間近くらい。

 

ですのでアセクシャル期とは言ってますが明確に「私アセクシャルかも!」と思ったのは4年弱たった頃です。それまでは名前もない何かで違和感に苛まされ続けてたわけですね。

 

こういう人が他にもいる、ということを知って初めて他の人にも「私アセクシャルかもしれない」という話ができるようになりました。と言ってもわざわざする話でもないと思っているので限られた人にしか話してませんが・・・。

 

ノンセクシャル

さてさて今まで好きな人もおらず、大学からは他人に対する性欲もなくなった中でやっとアセクシャルという言葉に出会い、なんとなーく暮らしていました。相変わらず「好きな子」も「やりたい子」もいないまま、まあ特に困ることもないかーと思いながら日々を過ごしていたある日のことです。

 

突然、私に「好きな子」ができました。

 

その子とはそれまでもまあまあ仲良くしてたのですが、他の子と同様別に「恋愛感情」を抱くことは全くなく、とても気の合う友人だなくらいの関係でした。

が、もうほんとに突然「あ、付き合いたいわ」と思ったのです。その瞬間は家で一人、漫画読んでただけなので、その子の何かに惚れた!とかそういうことではないのですが、なんかもう突然降ってきたとしか言いようがない何かが、私の中のスイッチをカチッと入れました。

 

と、同時に「みんなが言ってたのこれかぁ~」と妙に納得したのを覚えています。

やれ世間では「恋愛は理屈じゃない」だの「恋は落ちるもの」だのわけわからんことがたくさん言われてて正直意味わからへん!と思ってたのですが、たしかにこれは言うとおり。

 

それがなんと社会人一年目、22歳のとき。えっらく遅い「初恋」です。ほんと人生何があるかわからない。

 

以前にも書いたとおり私は現在まで彼女はいないので、つまりこの初恋は実らなかったわけですが、それでも自分が人間を好きになることがある、というのは大きな発見でした。その子を好きになって以降はまたスイッチが入ることなく、今に至りますがとりあえず「ノンセクシャルかな」というところに落ち着いています。

 

自分史としては、こんな感じです。

 

これはセクシャルマイノリティのほぼ全員に言えることだと思っているのですが、最初から「私はレズビアン!」とか「私はトランスジェンダー!」とか「私はノンセクシャル!」とか、そんな自覚を持つ人ってまずいないと思います。それぞれがまず「私何か人と違うな・・・」と思い、「もしかしてこれじゃないかな・・・」と思って自分のセクシャリティを意識していくわけです。

ただ、本当に必要なのは知識だと思います。私はアセクシャルノンセクシャルという言葉に出会うまでに随分と時間がかかり、それまでに色んなことを考えたり悩んだりしました。

「安心できる」ためには自分のセクシャリティを表す言葉があり、そこに属している自分以外の人が一定数いる、ということをきちんと知っておくことが必要です。

そういう意味で私ができるのはブログを書いてネットの海に放り投げとくくらいのことしかないです。が、

もっともっと偉い人が例えば学校で性の多様性を教育するとか、セクシャルマイノリティの支援団体が増えるとか、そういうふうに世の中が動いていくと良いなと思っています。

 

追記(2/14)

ののじ様に許可頂いた為、Twitterを貼り付けさせて頂きました。

ののじ様ありがとうございました。

 

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初めから「こう」だったわけじゃない ~前編~

皆様こんばんは

 

今回は私がなにゆえノンセクシャルだと自覚したのか、という経緯のお話です。

私も生まれた瞬間から「あー私たぶんノンセクシャルかなぁ~」なんて思ってたわけではなく、色々と紆余曲折を経てタイトルに「せっくす」なんて言葉が入ってるブログを始めようと思ったわけですね。

 

実は最初っからノンセクシャルかなぁ~と思ってたわけではなく、ノーマル?→アセクシャルノンセクシャルという道筋を辿って今に至ります。

 

ではどんな道を辿ってそこに至ったのか?を大雑把に振り返っていきたいと思っています。

それではすたーとぉー。

 

①ノーマル?期

私が生まれてから(というか思春期から?)だいたい高校生の終わりくらいまではこのノーマル?期に当たります。

この?って何って話ですが、とりあえずそもそも高校生までの「ノーマル」ってなんだろう、という所からですね。

私自身はこの頃恋愛感情なし、かつ、性欲ありって感じでした。特に好きな子!っていうのがいたわけではないけど中学くらいからはクラスの可愛い子とあれやこれやしたいなぁとは思っていたわけです。

普通の人の初恋が平均でどれくらいの時期なのかわかりませんが、高校生くらいまでで「好きな子」はいないけど「やりたい子」はいる、というのはとりわけ珍しいことではないと思います。なのでいま振り返ると「ノーマルじゃないかな?」というところですね。

そもそも私は高校生の終わりくらいまでは異性に関して友達はおろか、普通に話したりする人もいなかったのでそれで好きな子ができないのもまあしょうがないかなと思います。

性欲と恋愛感情は同等か? という議論はおいおいするとして、少なくともこの頃他の人と比べて自分の性質に違和感を感じることは全くありませんでした。

 

アセクシャル

大学生スタートくらいからこの「アセクシャル期」に入ります。

一応説明しますとアセクシャルは一般に恋愛指向も性的指向も持たない人、つまり好きな人もいないしやりたくもないって人を指します。

振り返ると大学入ったあたりから周りに「やりたい子」が妙にいないなぁと思い始めました。高校生から大学生になった時にそれを思い始めたので最初は「私制服フェチだったのかな・・・?」とか考えてましたがどうやらそういう感じでもない。(あ、女子高生は今も好きですけどね)

その時の大きな変化が周りに女性の友人が増えたこと、そして恋人がいるという人が目の前に現れ始めたことでした。

高校生くらいまではモテないグループにいたわけで、当然恋愛の話も殆ど出てきませんでした。まして彼女のいるやつなんてほぼ都市伝説です。

それが周りに現れたわけですから、当然恋愛の話も増えます。色んな人に色んな話を聞いて一番ビックリしたのが、

皆だいたい今か過去に好きな人がいる!

ってことでした。

何だお前ら・・・しれっと恋愛興味ないですぅみたいな顔して「やりたい子」ではなくて「好きな子」がいる/いただと・・・!?私ひとりもいなかったのに・・・。

まあ、この段階でも特に何か不安とか孤独感とか感じてたわけではありませんでした。

というのもこれまでほとんど女性と関わったことがなかったわけだし、これから関わる機会が増えればそういうのも自然とあるんだろう。

と思ってたんです。

 

思ってたんですが、

 

あ全然ない。

 

好きな人?なにそれ美味しいの?状態です。

そうなるとまず困る。人の恋愛話は散々根掘り葉掘り聞いてるわけですから「佐野くんは好きな子とかいないのー?」ってボールを投げつけられるわけです。でもいない。喋ることない。これがめっちゃ困る。困るけどほんとにいないからどうしようもない。とりあえず「画面の向こうに」と言って急場を凌ぎました。(嘘ではない)

そしてだんだん羨ましくなるわけです。古今東西あらゆるところで行われている「恋愛」とやらがめっちゃ楽しそうじゃないか・・・。もはや失恋した話ですら楽しそう。でもやっぱり周りに「好きな子」というか「付き合いたい人」は現れませんでした。この頃にはまあまあ人並みには女性と関わりがあったにも関わらず、です。

おかしーなーおかしーなーと思っていましたが当時は「ノンセクシャル」とか「アセクシャル」という言葉も知りませんでした。私が何かおかしいのか、それともみんなそんなに好きな子でもないけどとりあえず形だけ「恋愛」をしているだけなのか・・・? なんて色々考えていました。

そうしてできた違和感がだんだんと大きくなり、ある日の深夜2時頃、それははっきりと形になって現れたのです。

それは、居酒屋で友達と飲んでる時、一緒にいた女性が自分の足回りの太さを気にしていました。(別に私から見て普通じゃないかなと思っていたのですが本人はお悩みだったようです)そしてその時、自分のサイズと比べたくなったらしく、その子が私の太ももをガッと掴んだのです。その瞬間でした。

 

もんのすごい気色悪い。

 

思わず「気持ち悪いからやめて」って言いました。その女性にはすごく悲しそうな顔をされたのをよく覚えてます。あの時はごめんね[ピ-]さん。

そして終電を逃し、始発に乗ってお家に帰り、お風呂に入って頭洗いながら思ったわけです。

仲の良い、「女性に」、触れられて、気色悪いっておかしくない?

この時に明確に、私は人と違うのだなと感じました。

 

長くなったので続きます・・・。

 

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AV見るの?

見ます。

 

皆様こんにちは。

 

本日はノンセクシャル男性の「私が」できることと、できないことのお話をしようと思います。

つまりですね、ノンセクシャルはなんか知らんけど性行為が気持ち悪いらしい、でも「あれ」とか「これ」とかはどうなんだろう? というのにお答えしようと思います。

これは皆が知りたいこと、というより私が他のノンセクシャルの人に聞いてみたい(けど流石に聞けねえ)っていうことを先手を打って公開してしまえ、って企画です。

 

できないこと苦手なこと

 

・セックス

未体験だけど無理だと思う。でもものすごい頑張って我慢すればできるかもしれない・・・くらいの感じです。我慢してまでやることに意味があるとは思えないというか行為を行う趣旨が違うと思うけども。

想像するとだいたい車酔いのピークちょっと前くらいの不快感と吐き気を感じます。ですが考えるのをやめるとすっと収まります。

 

・キス

これも未体験だけど無理そう。セックスほどではないにせよやっぱり想像すると気持ち悪く感じます。

 

・(男女問わず)人に触れられる

部位によりますがまあまあ苦手。

握手とかは全然大丈夫。

腕もまあ大丈夫。

肩とか背中は結構きつい。

首とか太もも、お腹あたりはもはや辛いししんどい。(なので髪切る時にシャンプーされるのがめちゃくちゃ辛い)

普通に暮らしてたら触れられないところが特に苦手みたいです。

だから合コンの女子モテテク!みたいなのに載ってる「さりげないボディタッチ!」とかされたらドン引きします。いやーモテるイケメンでなくてよかった!

 

・道歩いてるカップルを見る

他人のことですがこれもまあまあ気持ち悪くて辛い。

手繋いでる<腕組んでる<ちゅーしてる

の順番できしょいです。見つけたら大体の場合下向いて歩いてます。

クリスマスに一人でメロンブックス行った日の道中は辛かった・・・。

 

・友達の誰がヤッたとかヤッてないとかそういう下ネタ

よくいますよね、AさんとBくんが付き合ってると聞くやいなや「もうやったん?」って聞くやつ。聞いてもいいけど私のいないところで聞いて欲しい。ていうか大人なんだからヤッてるだろ何の確認だよ。って思いながら頑張って話を逸らします。これも気持ち悪い。

 

・自分や他人(男性)の体を見る

これも苦手です。さすがに目隠しで風呂入ったりはしませんがあまり好きではないですし、銭湯でタオル巻いてない人にはおおぅ・・・ってなります。女性向け写真集の表紙みたいな引き締まったイケメンの写真でも無理。これはノンセクシュアル由来なのかはわからないですが・・・。

 

・他人(女性)の体を見る

基本的には大丈夫ですが、映像の女性器が見れません。

つまり無修正が見れません。これは気持ち悪いというよりは怖いに近い。

他の男性の友人に聞いた所、無修正>修正ありで好きという人と、どちらでもかまわないという人がいました。一般的にどうなのかはちょっとわかりませんが苦手という人は少ないのかなと思います。

 

できること好きなこと

 

・自慰

できる、というかします。普通の人がどれくらいしてるのか知らんけど多分人並みにしてると思います。冒頭に書いてるAV見ますもそれですね。AVも見るし成人向けの漫画も読みます。これは全然気持ち悪くない。

でも楽しいからやってるかというとそれはちょっと違う気がしています。男性ならたぶんノーマルの人でもわかると思うんですが、どちらかと言うと「溜まったから出す」っていう排泄に近い行為だと思います。明日からしなくていいよって言われたら結構喜ぶ。

 

・(男女問わず)人に触れる

触れられるのは無理だけど触れるのはいけます。といっても自分がされて嫌なことなので(特に女性には)極力触れないようにはしていますが。

 

・恋愛の話

むしろ男性の中では好きな方ではないかと思います。誰が好きとか誰が付き合ってるとか誰が別れたとかそういう話は積極的に聞けます。苦手なことに書いたとおり下ネタ的な方へ行かなければ平気です。ただこれはアセクシャルノンセクシャル界隈では苦手な人のほうが多いみたいですね。

 

以上

 

さて・・・並べてみると、なんだかよくわからなくなってきますね。

結局何があかんねん?って感じです。

AV見れるけど駄目ってことは自分が関わると駄目なのか、でも他人が手繋いでると気持ち悪い・・・?というふうにOKラインが非常に曖昧です。

 

私自身もなんか変だなーと思い始めた頃から自分の気持ち悪いスイッチの入るタイミングを観察し続け、今現在ではなんとなくこれじゃないかなという原則を見つけました。

 

それが生々しいかどうか。

 

生々しい、大辞林第三版によれば

その場の情景を目の前で見ているような、いかにも現実的な感じだ。

だそうです。

 

つまり、AVとか成人向け漫画はどこか他の世界の出来事だから大丈夫で、

実際に知っている人が性行為とかそれに近い行為をしているとか、あるいは自分自身に触れられるとか、現実に入ってくると駄目なんじゃないかと思っています。

私がネットなんかで調べた範囲ではノンセクシャルアセクシャルもAVは大丈夫という人は結構多かったです。同じ理由なのかはわかりませんが・・・。

 

人によっては恋愛の話でも苦手どころか無理という人もいます。

私の場合はスキンシップ多い人は苦手。

ただ問題はそれを伝えるのがなかなか難しいというところにあります。向こうは悪意がない、どころかどちらかと言うと好意をもって接してくれてるわけで、それをあんまりむげにするのはよろしくない。けど特にすごく仲がいいわけではないとか、仕事で関わる人とかだと「やめてください」とはなかなか言えないところはあります。

 

ただ、そういう人もいるんだなーって知っておいてもらえるだけでも、私や相手に多くのメリットがあると思っています。私も恋愛の話が無理という人は実際にお会いするまで意識にありませんでしたが、予め「苦手です」と言ってもらえるとこちらも相手を不快にする話題は避けようとか、そういう意識を持って応対できるようになりました。そしてそういう人を知っていると、次からは一旦「恋愛の話大丈夫ですか?」と確認するような選択肢もできますからね。

世の中が色んな人に住みやすくなるといいなーと思います。

 

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