やがて君になる 7巻を読みました。
いやなんの話やねん。
タイトルが「読みました。」って知らんがな。
ええ、ええ、当ブログはもちろん読書感想文を載せるブログではございません。
なのですが、やがて君になるという漫画を読んでちょっと思うところがあったので当ブログにしたためておこうと思った次第です。
というのが1割で9割が布教です。
まずはじめに、
この記事は「やがて君になる(KADOKAWA)」の多大なるネタバレを含んでおりますので、今読んでる方、今後少しでも読む可能性のある方は絶対にこの記事を読まずに今すぐ本屋さんで既刊7巻を購入し読了後、読んでください。
さて、まずあらすじですが、もんのすごいざっくり簡単に言うと、
「アセクシャル」✕「リスロマンティック」の百合(レズビアン)漫画です。
誰のことも好きにならない侑と、
自分のことを好きにならない(特別に思わない)から侑が好きな橙子と、
そしてそんな橙子を好きな紗弥加。
三角関係とは定義できるけど、でもそんな簡単ではない。
さて、詳しくは3話までためし読みできるのでそちらで読んでいただくとして、
今回私がこのブログの記事にしたいなぁと思ったのは最新巻7巻のとあるシーン。
紗弥加が橙子に告白し、その返事をもらうシーンです。
著作権的なあれもあるし、できれば漫画を買ってちゃんと通しで読んでほしいので文字で書きますね。
紗弥加が橙子に告白した次の日、橙子は考えます。
紗弥加が告白を決心するまで気持ちを変えたように、人はみな変わっていきます。
橙子は「どうして変わっていく人を好きでい続けられるのか?」を疑問に思い、二人きりになったとき、紗弥加に問いかけます。
いつから自分が好きなのか?
好きになった頃の自分と今の自分はきっと違うはず、なのになぜずっと好きでいられるのか?
紗弥加は答えます。好きって…………
「今のままのあなたじゃなきゃ嫌だってことではないけど、どんなあなたになっていいってことでもないと思う。だからなんだろう……あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう、信頼の言葉、かな」
あー……
なるほどね。
私もアセクシャルだったこともあるし、今はノンセクシャルだと思ってるし、色んな人と色んな話をして「好き」について考えたけどもそうかー、
あれは信頼の言葉だったのかーって。
なんか、すごいしっくりきました。
もちろん好きの定義は人それぞれだと思うんですね。何があっても私のこと好きじゃなきゃ嫌!って人もいるでしょうし、必ずしも恋愛感情を含まなくても「好き」ということもあるでしょう。
だからこれは解釈の一つではあると思うんですけど、「この先変わったとしても、私が良いと思う部分は持ち続けてくれるだろう」って、すごくすごく良い言葉だと思うんです。
何も恋愛的な意味だけでなくて、友人として本当に尊敬できる人とか、あるいは家族だってそういうふうに思う人、信頼できる人はいると思うんです。
だからアセクシャルの人は特に「好きがわからないなんて可哀想」なんて言われたとしても、
相手の思う、相手が定義している恋愛的な「好き」はわからないけど、でもそうではない、信頼の言葉としての「好き」は知っていたり、あるいは今後そういう人に出会えるかもしれないし、それは全然全く可哀想ではないと思うんです。
・・・いや結局何が言いたいの?
「好き」って自由でいいんだなって思ったよって話です。
私は今回たまたま読んでいた漫画に書いていた「好き」にしっくりきたわけですけど、でも特にアセクシャルの人は「好き」がわからないって人、多いと思います。
わからないのもわかりたいのもどうでもいいのも自由だけれど、これが「好き」!ってわざわざ誰か他の人に決めて貰う必要はないんだなと思い、そんな話をしたくてこのブログを書きました。
・・・とかは正直どうでもいい。
みんなとりあえず全巻買って私の好きな作者様に金を!!金を与えてくれ!!!
ご質問は以下のTwitterにリプライくれると答えます。
匿名のご質問は質問箱へ。