文科省ガンバ!
皆さんこんばんは。
今回のお話は「容認」、「理解」、そして「共感」について。
この「多様性を認めよう!」というキャッチコピーが文部科学省主導のもと駅やら学校やら至る所でやたらめったら見られるようになった世の中で、
じゃあセクシャルマイノリティにはどうすればいいの?
というお話をしようと思います。
なのですが、まずはじめに文部科学省に思い切り喧嘩を売っときますと、
私は「認められたい」なんて一ミリも思ってません。
そもそも認めるってなんですか?
なんで私がそこにいる許可をお前らに得ないといけないんですか?
私は自分がマイノリティであることを全く悪いと思ってないし、マジョリティのお前らにどう思われようがどうでもいいし、認められようが認められまいが居座り続けてやるわ!
という気持ちですね。
だから、「多様性を認めよう」ってキャッチコピー見るたびいや何様?って思うんですよね。
私が本当に欲しいのはどちらかというと「理解」であり、それは「知識」です。
例えば一昔前にはLGBTすら普及してませんでした。もっと昔になると同性愛者は「罪」で「刑罰の対象」でした。
(昔といっても例えば全米で認められたのは2003年らしいですが・・・)
んで、LGBTが普及したことで何が良くなったかというと、とりあえず「そういう人」がいる、というのをみんなが知ったことだと思うんです。まあ「そういう人」だと知った人がどんな反応をするかはまた人それぞれなので、これ自体はまだ色々問題はあると思うんですが、少なくとも知っているわけですね。
でも、2018年現在だとノンセクシャルとかアセクシャルという言葉、全然普及していません。
さてそうすると何がめんどくさいって説明。
「私ノンセクシャルなんだ~」っていうと99.9%でなにそれ?が帰ってきます。
文部科学省にこの辺をなんとかしてほしい。必要なのはまず「知識」でその次が「理解」。
ついでに欲を言うと「共感」が欲しいです。
「私ノンセクシャルなんだよね」
「あ、私もそうなんだ!」
ってなったらめちゃくちゃ嬉しい。めっちゃくちゃ嬉しい!
NYのど真ん中で日本人にあったくらい嬉しい。
ただ私も他のセクシャルマイノリティに共感できるわけではありませんので、それはただ単に運と縁の問題ではありますが・・・。
まあ、そろそろ倫理とか道徳の教科書にノンセクシャルとかアセクシャルって言葉が載ってもいいんじゃないかなって話でした。
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